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【コナン】なぜベイカー街は賛否両論を生んだのか

劇場版名探偵コナン第6作「ベイカー街の亡霊」はファンからの評価も非常に高い作品です。
しかし実は一部のファンには全くといっていいほど受け入れられていない作品でもあります。

好きな人は本当に好きですし、嫌いな人の中にはコナンシリーズとして全く認めてないとまで言い切る人もいる。
正直、私自身この作品は面白いかと言われたら自信を持って面白いと答えますが、好きかと言われると回答に困ります。

なぜこのような評価になるのかを、今回は制作経緯とコナンの行動についての原作との違いを見ていくことで紐解いていこうと思います。

なお誤解を受けそうなので先に書いておきますが、本記事は作品自体を否定するののではなく脚本を務めた野沢尚さんを批判するものでもありません
私自身、この映画はストーリーとしてはコナン映画史上最高傑作だと強く感じており、野沢尚さんが亡くなられたためこれが最後の脚本作品となってしまった事を大変残念に思っている一人です。

・「ベイカー街の亡霊」はファンからのトップクラスの人気と一部ファンからの低評価がある作品
・シリーズでは珍しく原作の青山先生ではなく脚本を務めた野沢尚さんが主導でストーリー設計を行っている
・原作と映画のコナンの違いが「ベーカー街221B」での行動に表れている
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大多数のファンから好評と一部ファンからの絶対的な拒否

本映画はシリーズ最高傑作とも評されることも多く、映画ランキングサイトではシリーズ最上位に位置づけされることも珍しくありません。
ファンからの評価も高く、公式投票でも

  • 2006年:第3位
  • 2016年:第2位

コナンシリーズ随一の傑作のひとつと評されています。

評価されているのは設定の面白さストーリーの美しさでしょう。今でこそVR(バーチャルリアリティー)を取り扱った作品は多くなりましたが、当時としてはそこまでメジャーなジャンルではなかったはずです。コナンの生みの親ともいえるホームズの世界とジャック・ザ・リッパーと呼ばれる実在した殺人鬼とが合わさった世界へのタイムスリップとも呼べる設定はVRだからこそできるものです。これを取り入れたのは見事というほかありません。

ストーリー展開もとても綺麗で、自殺や世襲制、日本の個性に対する考え方などコナンシリーズの中では重めのテーマを扱った異色作ですが、コナンや少年探偵団の行動や言動によってそれを子供向けにうまくアレンジして落とし込んでおり、最終的には新一と優作の親子関係まで描ききった良作となっています。

それでもなお、前述の通り「(面白いけど)コナンシリーズとしては認めません」という方が一定数いることも事実です。
私も認めないとは決して言いませんが、そう言っている方の気持ちも理解できる面があります。

なぜここまで評価が分かれるのかと考えると、やはりその最大の理由は物語の最終盤でコナンが「諦める」ことが要因なんだろうなと思います。
そこを詳しく掘り下げることでこの映画の真の評価にたどり着けると感じ、今回は考察していきたいと思います。

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脚本を務めた野沢尚さんについて

本作品の脚本は小説家の野沢尚さんです。小説家としてはもちろんドラマ・映画でも多数の脚本を務める大御所でしたが、劇場版・TVを含めコナンシリーズとは縁のない人物です。

野沢尚さんの起用と当時の製作経緯についてWikipediaに詳しい記載がありましたので、それをもとに考察を進めます。

きっかけは野沢の子供たちが『コナン』ファンだったことにあり、自身もファンだったために『コナン』のストーリーを書きたいと諏訪と吉岡の両プロデューサーに依頼したことだった。諏訪と吉岡も新しいチャレンジとして野沢の起用を決定し、この旨をこだま兼嗣監督らスタッフに報告した。

引用:Wikipedia

野沢さんの起用は本人からの逆オファーだったようです。映画シリーズはこれ以前の5作品ともTVアニメの脚本も務める古内一成さんが担当していたので非コナンファミリーから初の登用となりました。1997年には江戸川乱歩賞を受賞しており、世界的に有名な映画監督となった北野武の監督デビュー作品「その男、凶暴につき」の脚本家としても有名で、現在から考えるとこれほどの人物がコナン映画の脚本を務めるとはと、さぞ驚かれただろうと想像できます。

原作者の青山剛昌も本作ではストーリー作りを野沢に任せていた

引用:Wikipedia

コナン映画は原作としてクレジットされている原作者の青山剛昌先生が全面的に協力・監修していることはファンの中では有名です。映画の企画段階から青山先生は打ち合わせに参加しますし一部シーンの原画まで務めるほどです。これは漫画原作の映画化としては極めて異例で、シリーズ23作すべてに青山先生の意向が入っていることでコナンシリーズとしての方向性や設定にぶれがないかが厳しくチェックされています。

そんな中でストーリー作りを野沢さんに任せているのはかなり異色の出来事で、青山先生自身が野沢さんをリスペクトしていることが読み取れます。
また、それが表れている出来事として以下のエピソードがありました。

「新一が好きだといったホームズの言葉が、蘭に自己犠牲を決意させる」という展開は野沢による脚本には存在せず、映画スタッフによって追加されたものである。これらの追加を青山は野沢に伝える際、緊張して伝えるのに努力を要したため、小学館漫画賞授賞式の際もこのことが脳裏に働いてうまく喋れなかったという。

引用:Wikipedia

野沢さんは「トラブルが多い脚本家」と称され、スタッフやプロデューサーとこれまで何度も揉めているようです。何を隠そう北野武の「その男、凶暴につき」でも揉めたという話が残っています。この辺りから読み取れることとして、「ベイカー街の亡霊」は青山色よりも野沢色が強い作品になる製作状況だったことが分かりました。

そして問題の物語の最終盤、コナンが諦めるシーンについて、Wikipediaには下記の記述があります。

また、前作まではコナンと蘭のラブシーンが重視されていたが、野沢は父と子の愛情をテーマとして切り替え、クライマックスに当初の案の列車を取り入れてコナンに「もうだめだ」と言わせるジュブナイルストーリーを作り上げた。

引用:Wikipedia

このシーンも野沢さんの意向が反映されていることが分かります。

これを初めて知った方は今、この事実を聞いてどう思われたでしょうか?
私は「やっぱりな」と腑に落ちたというのが正直な感想です。

私自身のこの映画に対する感想は別記事でも書いている通りめちゃくちゃ惜しい作品です。なぜそう評したかというと、やっぱりコナンが諦めるシーンが納得できなかったからです。

これまでコナンが絶対に諦めないキャラであるなどと明確に設定づけられていたり、この時と同じぐらい絶体絶命の状況に陥りその時に諦めなかったなどというエピソードもおそらくありません。でもコナン作品とコナン自身をもはや「愛している」といってもいい私の感想は「諦めるのはコナンじゃないのではないか?」と強く思いました。

これって結構、本質だと思っています。明確な描写はないがファンの深層心理として「コナンは諦めない」と思っていた方がやはり多かったと思うのです。それらの人々からするとこの描写にはやはり違和感を持ったと思います。

そしてこのシーンが青山先生の意向というよりは野沢さんの意向が強かった事実を聞いて「やっぱりな」と思ってしまった。
これこそ、この作品を評価しない層が存在する理由なのだと思いました。

「ベイカー街の亡霊」と「ロンドン編」でみるコナンの違い

野沢さんの描くコナンと青山先生の描くコナンの違いはベイカー街のホームズ邸での一コマにも凝縮されているように感じます。

野沢さんの「ベイカー街の亡霊」でのコナンは特に興奮することもなく、ホームズの椅子に座って考え込む姿が描かれていました。
対して、青山先生が描いた原作71・72巻「ホームズの黙示録」シリーズ(通称:ロンドン編)でのコナンは、ホームズの椅子に座り子供のようにはしゃいでいます

前者は事件発生後、後者は事件発生後という心理面での違いはあるのですが、コナンはホームズのことになるとデートや事件そっちのけで夢中になり、不謹慎ともいえる行動をとることはファンにもおなじみです。このシーンからも「ベイカー街の亡霊」の野沢色の強さが感じられるかと思います。

まとめ

以上、「ベイカー街の亡霊」の評価が分かれる理由を紐解いてみました。
この映画に出会った時期などによっても評価が分かれる作品かと思うので、年齢や性別・コナンファン歴などでアンケートを採ると面白い結果がでるのかなと思います。
重ねて、野沢尚さんの最後のコナンシリーズ作品となったことが残念でなりません。

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